FAVARITE

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introduction

バイクをきっかけにイタリアにハマって気が付けば、いつの間にか身の回りはイタリア物ばかり。 自分でも呆れるような状態ですが、ウチの子供曰く 「ウチのオヤジは自転車もバイクも、ぜ~んぶイタリア物やな・・・ あとはオヤジだけやがな」 そんなイタリア好きが少しだけイタリアの魅力についてお話します。

 

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昔、コルナゴという屋号をつけたアウトドアshopがありました。 後で知ったのは、この店主がかなりの自転車好きで屋号のコルナゴという名前はイタリアの自転車メーカーの名前から取ったものだったのです。 あの頃は自転車の事 何も知らなかったなぁ~。この歳になって自転車に再び興味を持つのはフルサスペンションのMTBが出てきた頃、買い物とかの街乗り専用に欲しくなり買ったのが始まりです。自転車で街を走れば車や歩きとは全然違う世界が広がる事を知り、楽しくてしょうがなくなりました。子供の頃、自転車が楽しかった感覚はバイクにのめり込むようになってから何時の間にか忘れていましたが、のんびりと街の風景を見上げながら、季節を感じて走る事にだんだん取り付かれていきました。

昔『シャカリキ』という自転車をテーマにした曾田正人さんの漫画があったことを思い出し本屋さんに注文を入れてみる、まだ単行本ありました。届いて家に持ち帰り、夜布団の中で読み出すと、もう止まらない。必死になってページをめくり朝まで延々と読み続ける、感動作です。漫画の中で出てくる『BIANCHI』に憧れを持ちいつか欲しい、手に入れたいと思うようになりました。チェレステブルーという青緑色?のフレームが特徴の自転車です。暫くして自転車好きの友人からBIANCHIのProject3というクロスバイクを買わないかとオファーが来る。前サス付きで通勤には最適なので、ほぼ新車状態のBIANCHIを安く譲ってもらいました。帰りの暗い夜道を走る為、充電式バッテリのヘッドライトを付け、大きなメッセンジャーバッグを背負い片道7,5Kmを通勤しました。

寒い吹雪の日も年間200日以上走り続けて、休日のサイクリングにも引っ張り出して、この自転車はトータル距離が3年で10,000キロを軽く超えました。その間タイヤやギア、チェーンなど消耗部品を何度も交換し、ハンドルをドロップタイプからフラットに換え軽量のホイールに換えたり。で、2000年に参加した「シマノ鈴鹿ロード」という鈴鹿サーキットのレーシングコースを走るイベントでBIANCHIブースに展示してあったロードレーサーのPirataミレニアムモデルを買いました。でもレーサーはきつい。軽いから登りも楽ではあるけれど、当然ながら通勤や街乗りには全く向かなかったです。今はこの2台のBIANCHI両方とも手放してしまいました。今も大事にして貰ってるかな?

その後通勤用にはCineriのBootLeg、街乗りには小径のKUWAHARA Gaap Streetを所有します。 Cineriは前輪が26inch、後輪が27inchで MTB用のスリックタイヤを装着した前サス付きドロップハンドルの街乗り専用とでもいうべきモデル、やや重い。充電式バッテリのヘッドライトなど装着すると、もうかなり重いです。 KUWAHARA Gaapは小径自転車の面白みに本気で取り組み、小径独自のカテゴリを確立したフルサスモデル。 どちらも乗ってて面白い。面白い事が基本デスね。

BootLegで通勤を続けてきたが、年齢と共に通勤距離ではなく 重さがだんだん苦になってくる。でも、自転車を降りる方向には全く考えが及ばず、自転車好きはどんどん深みにハマっていく始末。 傷みの激しくなった通学用自転車の代替えに、BootLegを上の息子に譲ってから 通勤に kuwahara GAAP を使ってきたが、これもかなり重い。 軽量化の為 重いサスペンションフォークをリジットのカーボン製に換えたり、ロード用の細い高圧スリックに換えたりいろいろやってみたけど 小径とはいえ基本が MTBなのでやっぱり重い。 小径ゆえホイールベースが短いので フロントにサスペンションがない事と高圧ロードタイヤは衝撃がそのまま体に来る。それと安価なカッコだけの台湾製カーボンフォークは完全な強度不足で、上り坂などたわむ、きしむのが極端に感じられ、その内ポッキリ折れるのではないかと不安になる。

その後 COLNAGO C40 をフラットハンドル仕様に改造したバイクをヤフオクで見つけ広島から購入します。ロードレーサーは軽いけど大きな荷物を背負い帰りの暗い夜道も走る事を考えれば通勤には向いていないと思ってたので、ドロップではなくフラットハンドルで フレームの赤に合わせてホイールがフルクラム・レーシング7の赤色、タイヤがミシュランの赤 サドルもサンマルコの赤に付け替えてセンス良く仕上ってるこのC40が結構気に入って購入に至った。大凡2年ぐらいはこのままの状態で通勤に使ってたけど、あちこちのパーツが消耗や劣化で交換時期に差し掛かった時、元のスタイル ドロップハンドルに戻してしまった。あれから約30年、年間に1,000〜2,500キロ以上走るので何度もパーツは交換してるが 今はハンドルやギア、ホイールまで高価な軽量パーツを奢ってずっと大事に乗っている 毎年ゴールデンウィークに輪行バッグを担いで新幹線で東京に行くのはこのバイクと決めている。C40は古いけど、今でも素晴らしいと思えるバイク。

C40(カーボンフレーム)は今でも通勤に使ってるけど、あれから色々違う特徴を持ったロードバイクが増えていった。その間も買って暫くしたら売ってしまうを繰り返し最終的に残しておきたいと思って今も所有しているのは COLNAGO C64(カーボンフレーム) COLNAGO MASTER X-LIGHT(クロモリ鋼フレーム) Officine Mattio(ステンレスフレーム) DE ROSA TITANIO(チタンフレーム) BIANCHI OLTRE XR3(カーボンフレーム+Diskブレーキ)など。 BIANCHI はC40と交代で週2〜3回通勤に使ってる 30年以上の差というかロードバイクの進化や成熟を感じながら毎日通勤するのも楽しい。

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バイクのルーツは子供の頃初めて自転車に乗り、その時感じた風を切って走る爽快感 今までより遠くまで1人で行ける事に対する開放感と、少しだけ大人になった悦びを感じた辺りまで遡る。 自転車に乗ること自体が遊びだった 楽しかった。その自転車で感じた2輪車の魅力はそのまま受け継がれ、自動二輪免許取得に繋がっていく。

もうバイクに乗ってからかれこれ30年近くになります。 免許を取って最初のバイクはHonda CB400F。集合マフラーとフラットなハンドルが人気を呼んだ名車でした、10年近く乗り続けましたが、結婚を機にバイクからは遠ざかるつもりで手放しました。ですが、暫く間が空いてただけで結局またバイクの世界に戻ってしまいます。田舎の倉庫で眠ってたKawasaki Z750Fを安く入手しペイントなど見苦しい部分だけは手を加えた後5年ほど乗ります。でも、たまたまめくったバイク雑誌にいつかは欲しいと探していたバイク 高校時代に憧れ続けたDucati750Sを個人売買欄で見つけてしまい、どうしても欲しくなる。

雑誌に載っていたこのバイクは73年製ですが、発売当時 72年から最後74年までに輸入された総台数はたった60台です。20年を経過した今見逃せばもう二度と出会えないような気がする、これを逃せば絶対に二度と手に入れる事は出来ない、その時はそう感じました。そして入手のためにKawasakiを売ってウチの奴から借金をして購入する事になります。 Ducatiとはイタリア ボローニャにあるバイクメーカーで、L型90度2気筒エンジンが特徴。デロルト製キャブとContiマフラーから吐き出される排気音は独特。(右写真の750SはDesmo機構なし) これをベースにした750SSはDesmo機構を搭載し、Imora Racerのフィードバックモデルとして今でも大変な人気車種。 値段も人気も高い750SSより、個人的にはこのカウルを持たない750Sの方がマニアックな感じが強く、またイメージカラーのマンダリンオレンジを纏った外装が派手で好きでした。 レストアを始めてバラバラにはしたのですが、欠品しているパーツを探し出すのが大変で結局、組み上がるまで丸3年かかりました。

バラバラにしたのは良いけど、そこから先が全然進まない。 一体いつ組みあがるのか判らないまま乗るバイクがない状態が延々と続く。そんな時またバイク雑誌の個人売買欄で出会ってしまったのがこのマシン、 MikeHaliwoodReplica 900。 この頃にはまだ乗った事もないドカティという個性の塊のマシンの魅力に、自分でも何が何だか判らないまますっかり取り付かれており、他のメーカーには興味が沸かなくなってしまっている。このフレームまで塗装され高いパーツをふんだんに奢られて原形を留めないほど改造を施されたImora風パールホワイト+赤のマシンに一目惚れし、自分の颯爽と走る姿を想像し眠れない日が続く、結局また借金して買いました。苦労もしたけど、苦労も楽しみの内、かなり長く乗りました。最後に手放す時は辛かった、今もまだ恋しい。

Ducatiはうるさいし振動も激しく、また重いから国産RacerReplicaのような加速も無い。しかしフレームの造りやトルク感溢れるパワーの出方など如何にもバイクらしい楽しみを満載したマシンでした、走る事に関しては徹底してる。 このバイクの魅力は一言で語れる速さやパワーだけでなく、例えばエンジンをかけるにも正しい手順を求め、天候や気温によってプラグやアクセル開度にも繊細さを要求する気難しさ、そして乗って走り出した時の満足感と楽しさは、誰でもすぐに乗りこなせれる代物ではないとあからさまに拒絶する姿勢に奥行きの深さを感じ、味があると思います。 そんな時に欠品してたパーツを探し出し 3年ぶりに漸く組みあがった750Sに乗ってみる、また一段と扱いにくい。193kgを押して帰った事も度々あります。

さて、900ですが、経年変化でだんだん修理個所が多くなり維持費がかかるようになって来る。 「もう替えよう」と思うようになったのは修理しても同じ個所から又トラブルが発生し、何処かに出かけても家に辿り着くまで不安感が頭から離れない。また重くて姿勢のきついスタイルに年齢的に体がついていかなくなって来たからです。 その結果96年に限定車916SP(916のサーキットモデル)に替えました。

ローンが終わり小遣いに余裕が出来ると、徐々に手を加えてドレスアップしていきます。 ダークスクリーン、クラッチマスターて、マルゲジーニホイール、HIDヘッドライトなど。テルミニョーニ製マフラーは最初から付属品でした。 それまでのべベルギヤのDucatiから乗り換えると、このマシンの圧倒的なパフォーマンスに驚嘆の声が上がる。 フル加速すれば楽々フロントをLiftするし またHondaのRacerReplicaにも追従可能な、呆れるほどの加速。 カール・フォガティがこのワークスマシンでSuperBike年間優勝を果たす位だからハンドリング、パワー全てにおいて完成品といえるマシンでした。 そして、尚且つイタリア車に付き物のトラブルも皆無。

憧れの750Sも実際に組みあがって乗ってみると、ハンドル切れ角が38度と極端に少なく高速道路やサーキットなどは問題なく走れても、低速走行の街中ではその分だけ大きく倒しこみが必要になり、またホイールベースが長く19inchタイヤという大きなタイヤと相まって実に乗りにくい。今のバイクとは反対の右シフト左ブレーキ、スカラブ製ディスクブレーキも今の交通事情には合っていないから危ない事 極まりない。 DUCATI全般ですがハンドルは低く、また垂れ下がっているから、きつい前傾姿勢を強いられた上クラッチはかなり重いので、渋滞にでも捕まろうものなら、すぐに腕はパンパンに張れて握力は消失する。また高速と街中ではプラグの番手を換える必要があるほどデリケートなエンジンは実用的ではない。 レストアの後、眺めている分には とても気に入っていたのですが 、バイクは眺めたり飾っておくものではなく、 それとやはり所有コストの関係で 仕方なく手放しました。

Ducatiが気軽にチョイ乗り出来ない事から、前からスクーターが1台欲しかったのですがやっぱり買うのはイタリア製、ItaljetDrugster180(2st単気筒180㏄) このスクーターはハブステアという独特のハンドル機構を持ち、フルブレーキングしてもノーズダイブしないのが特徴、細いパイプを全て3角形になるよう組み合わせたトラスフレームの真ん中に横たわる黄色い部分がフロントサスペンションです。 高速走行も安定し、 イタリアンデザインの極みのようなオシャレなスタイルでも フロント11inch、リア13inchとやっぱりタイヤサイズはスクーター、ギアも無くただスロットルを開ければ簡単に加速する、楽だけどやっぱりスクーターはスクーター、バイクじゃない。

Ducati916SPも約8年間で28,000km乗り、あちこち本格的に手を入れないと維持出来ない状態になりつつある。このSPモデルは特に、パワーがある分パーツの消耗も激しくまたそのパーツが実に高い。 昨年、京都ツーリングの際エンジンがかからずとうとう置いて帰った頃から、乗換えたいという気持ちが自分の中で徐々に高くなってくる。続けて所有する為にこれからかかる修理代やパーツ代と下取り価格を考えれば今が潮時なのかも知れないゾ~と、悪魔が囁く。

結局迷った挙句に、買い替えを決意しました。しかし選んだバイクはDucatiでは無く「MV Agusta F4ChallengeⅡ」 というRaceのために作られた20台限定車。Ducatiは916系(最後は998まで進化)から、フルモデルチェンジして999が出たばかりでしたが、デザイナーはマッシモ・タンブリーニからピエール・テルブランチにバトンタッチ。タンブリーニのマシンに乗り続けた経緯か、どうもタンブリーニデザインの方が馴染みやすい。それにDucatiはパーツ消耗による~とかの維持費が高いしあのトルクがありすぎる乗り物は、堪える年齢になってきている。 買い替えを決意し契約してから約半年後、 2003年7月末 ついにMVはMOTOPLANの赤いトラックに載ってやってきました。最初からホイールやマフラーなどスペシャルパーツを組み込んだパールホワイトのMV。

マッシモ・タンブリーニのデザインである事と、憧れのMV Agustaである事で選んだMotoCorseコンプリートの限定車 F4 challengeⅡはスムーズかつパワフル 究極のコーナリングマシンで、納車時に最初からMotoCorseのフルチタンエキゾーストを装着しかん高い、美しい独特の排気音を発する。また同じく納車時にマルゲジーニの限定マグネシウム鍛造ホイ-ルに換装して、何一つ不満の無い 自分にとって最高の好みの状態に仕上がったMV Agusta F4 challengeⅡではあるけれど 1万キロを超える頃から 自分には直列4気筒エンジンのマシンより 長く慣れ親しんだドカティのL型2気筒が合ってるように思えてくる、というか戻りたい気持ちが頭を過る。

そんな時、MV Agustaの担当セールスから、「 MotoCorseコンプリートの999CRを買ったけど、パワーがありすぎ怖いので手放したい」という委託で預かってる 走行距離たった1,000キロのマシンの話が入ってきた。 手の入れられるところは全て手を入れ、高価なMotoCorseパーツで統一された美しいマシン・・・。悩んだ末に MV Agusutaを欲しがってたナッキーに買い取って貰い 乗り換える事にした。 ・・・乗ってみてパワーも、仕上がりの素晴らしさもこの上ないが、前オーナーが怖いと言った意味がなんとなく判る、マシンとしての完成度が熟しておらず パワーと挙動のアンバランスがどうも気になる。勢いよくアクセル開ければ 簡単にフロントがリフトするが コーナーで思いっきり倒しこんでアクセルを開ける気にはなれない未完成さが気になる。ピエール・テルブランチのデザインが、このマシンの危うさを象徴しているようだ。まぁしかしマシン個々の特異性には自分の方の慣れもあるから、そのうち慣れてくると 結構あちこち行った。MV Agusutaに乗ったナッキーと一緒に良くツーリングに行くようになった。

銀行さん内部のツーリングクラブに誘われるようになり、時々ゲストとして参加させて貰ったが、5月連休の初め(4月29日)のツーリングで転倒事故を起こしてマシンは全損、でも体は左ろっ骨骨折だけで済んだのはとてもラッキーだった。ツーリング仲間のみんなに迷惑をかけた、すみません。暫くは大人しくしてたが、バイクを降りる気にはなれず かといって欲しいバイクがある訳ではなく 長い付き合いのドカティディーラー担当さんから、Bimota DB5Cを勧められ買う事にした。 生きていく上で大切なものは トキメキと、安らぎではないかと思う。 仕事でも趣味でも、或いは人とかモノとの出会いでも ときめく事はとても重要だし、やがていつかそのトキメキは自分とっての安らぎに変わる。バイクは趣味というにはあまりに長く 深く関わりすぎてもう無しでは生きてけないから、暫くの休養期間を置いて再びバイクに復帰したが しかしその時、トキメキを感じる車種を見つけられず、心の底から恋する気持ちを持てないままbimotaを選択した。だからなのか このバイクは半年経った今もまだ安らぎを与えてはくれない。何かしっくり来ない。

パワフルではないがレスポンスが良いエンジン、車重が軽い分だけコーナーでも楽しいし早いマシンなので そこそこ気に入ってはいたが、だが後方確認するためにライディングポジションを大きく崩してミラーを覗き込む姿勢をとらないと後方は全く見えない。この事はほんのきっかけに過ぎないが でも帰ってきて毎回のように感じる のは楽しいより、ストレスで疲れた気持ちの方が遙に大きい。bimotaはプライドが高すぎる。ミラー位置を動かしたり他のものに付け替えたりすればbimotaのトータルなデザイン性は失われ美しさは消滅する。それは大げさじゃなく このマシンにとって存在価値がなくなってしまうという事だ。幾らサーキットでは優れたマシンであっても一般道では危ない事極まりない、きっといつか事故を誘発する。 この事をディーラーに言っても 「bimotaオーナーさんは皆さんミラーの不具合を感じてるようだけど、でもbimotaはこんなものだと諦めて貰ってる」 と言うだけで何も対策してくれない。こんな状態でよく販売許可が下りたと思う。

先週の奈良ツーリングの途中休憩で、師匠福田さんに 「初心者のようなぎこちない危なっかしい走り方をしてる」と指摘された。帰りにバイクを交換してたった10km位の走行で、「このバイクはサーキットなら楽しいやろうけどもうごめんやわ、これ以上よう乗らん」と。
なるほど、やはり福田さんも全く同じ事を感じた訳やと思う、、、bimotaはもう潮時かも知れない。

Bimota DB5Cに愛想が尽きて乗り換えを決意すると、なんというタイミングか1098にホモロゲーション取得のための限定モデルが出るという情報を雑誌で見た、いてもたってもいられずに すぐさま注文を入れた。186ps というレーシングマシンそのままの とんでもないパワーを削る事なく そのまま出てくるマシン。多分国内に入荷するのは100台足らず、その殆どがレースのベースとなるので、ナンバーを取得して一般道で走る可能性のある1098R は20~25台程度となるらしい。 春日井のショップに入荷してから納車前にやった事は、上下ヘッドライトのHID化と、事故で全損した999Rの生き残りパーツである STMスリッパークラッチの移設。 やがて納車になり乗ってみると、とてつもないパワーをもったマシンではあるけれど、999R のような不安感はまるで皆無。アクセルを開ければ2速でも3速でも簡単にフロントをリフトするけれど、挙動が安定してて怖さはまるで感じない。コーナーでの安定感も抜群、オーリンズ製のショックのマッチングは素晴らしいし、マシンそのものの完成度が非常に高い。

このマシンは 年齢を考えると多分生涯で最後に乗るスーパーバイクカテゴリになると思う。しかしスーパーバイクだからとマシンポテンシャルに依存した乗り方はせず、それこそゆったりツーリングや ぶらぶらお散歩ツーリングにも使いたい。

後に、ANAスカイツーリングを使ってこのマシンで 北海道へ4泊5日のツーリングにも出掛けるが バイクってホント楽しいと実感出来るマシンだ、大事に一生乗ろう。

再び北海道ツーリングへ出掛ける事を前提に 軽くて乗ってて楽なマシンを買うつもりで選択していくが、普段も使い勝手の良い事が条件なので 大きなパニアケース(ハードバッグ)装着の、ごつい風防付のツーリング専用マシンは選択から外れる。 イタルジェット・ドラッグスター180という街乗り専用のスクーターから乗り換えとなるので、同じ用途に使えなくては意味が無いし スーパーバイクとはまったく違うタイプの優れたスタイリングを持った、デザイン性の高いマシンが欲しい。という事で選んだのが ドカティ ハイパーモタード796です。 1100ccが先発で出て796(803cc)は追加発売になったけど サーキットをモタード走り)タイヤをスライドさせてカウンターを当てて走る乗り方)する訳ではないので、寧ろ大きなパワーは街中ではかえって乗りにくくなる。

勿論新車を買うつもりは最初からなく、程度の良い796の中古を探していたけど ある日ネットで名古屋市名東区のドカティディーラーが ショップのフェア用にオプションパーツやオリジナルパーツを組み込んだスペシャルマシンを売りに出しているのを見つけた、中々売れなくて値下げした直後だったらしい。電話を入れて見に行って契約し 登録終了後に取りに行った。
軽いし乗りやすいが、乗り慣れた前傾姿勢の強いスーパーバイクとも、またスクーターとも全く違うライディングポジションに戸惑うがある程度慣れてきたら乗っててこんな楽しいマシンは無い。スーパーバイクはつらくなってくる年齢ではあるけれど、カテゴリが違うからどちらもずっと乗り続ける事だろう、と思う。 

architecture

綺麗な建築物を見るのが昔から好きでした、多分小学生か中学生の頃からなので結構歴史が古い。 バブル最盛期 何の躊躇も無くあまりに過剰な建築費を投じ建てられた素晴らしい芸術品のようなビルが東京には沢山出来ましたが、本格的にビル鑑賞にのめり込んだのはその頃からです。仕事とかで東京に行く度に有名建築家設計のビルを見て回るようになる。そのうち建築家の個性、特徴の違いに少しづつ興味を持つようになり、だんだん東京での移動時間が惜しいので自転車担いで新幹線に乗り込むまでに。  丹下健三設計の東京都庁ビルは建築中から完成まで何度も西新宿まで見に行った覚えがあります。そうやって出会ったいろんな素晴らしい建築の中でも特に好きになったのは、安藤忠雄さんの作品でした。

1992年池袋西武で安藤忠雄建築展が開催されると雑誌記事で見た時「どうしても見たい!」という衝動に駆られわざわざこのために東京池袋まで行ってしまう。中にどのぐらいの時間居たのだろう?多分5時間とか6時間だと思います それぐらい衝撃的でした。あの頃は今ほど有名じゃなかった、本職の建築家ならともかく一般的にはそんなに知名度高くなかったと思います。プリッカー賞を受賞し東大大学院の教授に就任してからはNHK教育TVで建築講座もやっていたし、対談番組や特集番組も多く放映されるなど多忙な建築家ですが、この人の生き方、物の考え方は面白い。つい先日東京駅構内の東京ステーションギャラリーで開催された安藤忠雄建築展にも行ってきました。安藤忠雄さん設計の建築作品 そのものもすごく好きですが、 作品の背景にある人間的な部分に とっても魅力を感じます。

他に好きな建築作品は、最近話題になったレンゾ・ピアノ(イタリア)設計 東京銀座のエルメスビル、大きなガラスブロックが特徴です。(あいにく ビルの中身には全く興味がない)とか、同時期に完成した同じく銀座 リカルド・ボフィル(スペイン)設計の資生堂パーラー。 少し前になるけど、お台場 丹下健三設計 フジTV本社ビル。五反田 マリオ・ベリーニ(イタリア)設計の東京デザインセンタービル。この近くでは谷口吉生設計の 豊田市美術館もとっても美しい。そしてニューオープンの六本木ヒルズと汐留再開発のビル郡も見に行きたい 歯医者になってなかったら多分建築の仕事をしてただろうなぁと思います。

watch

時間の正確さではクオーツ式でしょうが、若い頃から複雑な機構を持った機械式に憧れを持つようなりました。きっかけは今から約20年ほど前、大阪灘波から夕方の通勤ラッシュが始まる前の時間帯に乗った奈良行き近鉄電車の中で、シルバーグレイのヘアが良く似合う上品な初老男性の これまた上品なカシミヤコートの袖からちらりと見えたのは、SEIKOクオーツではなく、またROLEXでもないブライトリングのオールドナビタイマーでした。あの頃そういう年齢層のリッチマンの腕には金のROLEXが一般的でしたが、わざわざキャメルカラーのカシミヤコートにブライトリングをコーディネートさせるなんて唖然。自分も歳を取ったらブライトリングの似合うとてもとてもオシャレなジイ様になりたい!!  ところが、いざ歳を取ってみるとイタリアものにすっかりハマってる状態です。で、イタリア製の時計ですが、イタリア製はどれもこれも分厚くて重くてやたらFACEがでかい。置いてあるのを見ても多分何ら魅力を感じません。でも腕に嵌めてるのを見ると何故か実にサマになるデザインなのです。イタリアンデザインの基本コンセプトは時計に限らず車でもバイクでも機能している時 活動的な状態で一番美しく見えるよう照準を合わせてデザインされているからです。 代表的なイタリア製時計を2つご紹介しますが、どちらも限定モデルでない定番ものであってもかなり入手困難です。 オリバー・アイクとインダストリアルデザイナーのマーク・ニューソンが機能的でオシャレな機械式複雑時計を作ろうとIKEPODを創立したのは1994年。 IKEPODの中でも円盤型ボディを持つヘミポッドは発表以来 依然として人気沸騰中。イタリア国内限定でたった23本のみ販売されたオレンジ色ヘミポッドなんて憧れの一品です。

OFFICINE PANERAIは1938年にイタリア海軍用懐中時計としてラジオミールから始まりました。一度倒産し消滅してましたが1998年に新生パネライとして復活。今も正規輸入品は予約3~4年待ちが当たり前です。1950年に誕生したLuminorを再現したLuminor1950は1950本の限定。FACEは水中での視認性を考慮し47mm、夜行ディスクと2重になったダイヤルとパネライの特徴であるリューズプロテクターを備える。

scuderia

イタリアには有名な自動車のデザイン工房が沢山あります。ピニンファリーナやイタルデザイン、ベルトーネ等はあまり詳しくない人でも一度ぐらいは耳にした事があると思いますが、ベルトーネ工房出身のマルチェロ・ガンディーニの作品には他とは一線を隔す孤高の美しさを感じます。有名な作品ではランボルギーニ・ミウラ、カウンタック、ディアブロ、ランチア・ストラトス、マセラティ・シャマルなど。今現在は残念ながら現役から退いてしまったのか、或いは長い長いお休みに入ったのか最近は新作発表しておりません。新しいマセラティ・クワトロポルテもガンディーニからピニンファリーナにバトンタッチです、Ferrariのデザインで有名なピニンファリーナもF40を最後にチーフデザイナーのレオナルド・フィオラベンティとエンリコ・フミヤが抜けてしまってから、どうもデザインに精彩がない。最近Ferrariから発表された限定車エンツォではまた美しさを取り戻していますが、なんとこのデザイナーは山形県出身の日本人、奥山清行氏。この素晴らしいセンスを持ったデザイナー奥山氏もまたピニンファリーナを抜けてしまい新しいマセラティ・クワトロポルテもなんだかピンとこないのは自分だけでしょうか?

マッシモ・タンブリーニは元BIMOTAのデザイナー、昔の美しいバードゲージフレームBIMOTAは彼の作品。 1993年にドカティ社から送り出された916シリーズは10年以上の時を経ても色あせる事はない ([MATRIX RELOADED]でトリニティが高速道路を二人乗りして突っ走るあのマシンです) 916シリーズもフルモデルチェンジして南アフリカ出身のデザイナー、ピエール・テルブランチに交代しました。タンブリーニとはまた違う個性あるマシンですが、長く慣れ親しんだタンブリーニデザインのマシンに今も愛着を感じ、結局選んだのは、メーカーが異なっても同じタンブリーニデザインのマシンでした。 人の好みはいろいろあるからタンブリーニが嫌いと言う人が読んだら怒るでしょうね、ごめんなさい。

jazz

診療室で鳴らしてるBGMは、有線放送ではなくハードディスクにCDを貯め込んでいくミュージックサーバーなのです。なんとなくクラシックはウチの診療室の雰囲気には重過ぎる感じがするのでJazzをメインにJ-POPやHIP-HOPなども入っています。Jazzなら軽いものが多いです、例えばゴンチチとか山中千尋とかから大西順子や小曽根誠、アコーディオンのCOBAやサックスのキャンディ・ダルファ、矢野沙織とか。

大学時代の友達は結構オーディオに凝ってる連中が多く、彼らが自作の真空管アンプと自慢の自作スピーカーシステムで鳴らす音は殆どクラシックかJazzでした、CDではなくアナログLPグレコードの時代です。そして私ひろも、卒業する先輩から中古で安く譲ってもらったJBLスピーカー、木目細工の美しい[ LE8T ] で聴くのもやはり、友達の影響を受けJazzが多かったように思います。

ビル・エヴァンスやオスカー・ピーターソン、ディヴ・グルーシンとかジョー・サンプルなどのピアノ系をよく聴いていましたが中でも特にビル・エヴァンスが大好きで、ちょうど来日したビル・エヴァンストリオのLIVEには絶対に行きたかったです。チケットは完売でしたが、でもあの当時は、のどかな時代だったのか立ち見席チケットが存在しており、ラッキーにもその立ち見席チケットで生の演奏を聴く機会に恵まれました。
客席中央の階段状通路に新聞紙を広げ座り込んで聴くビル・エヴァンスのピアノは優しく繊細で切なく、何故か聴いてる内にふと自然に涙が出たのを覚えています。憧れのピアニスト、ビル・エヴァンスの演奏を聴いて感動し、もし可能なら~と行く前から持参したサイン色紙と油性ペンを胸に抱えて恐る恐る訪ねた楽屋ですが、ピアノから感じる人柄そのままに彼は優しく気さくで、開けっ放しのドアを見知らぬ若造が棒立ちでノックする音に、ニコリと愛想よく反応し楽屋に招き入れて下さいました。片言の英語で演奏の感動を伝えサインをお願いすると、着替え中だったトリオの他のメンバーにも声をかけ1枚の色紙にトリオ全員のサインをして、握手してドアまで送り出してくれました。 その後、ビル・エヴァンスはこの世を去る、この78年が最後の日本公演となりました。
あれから30年近くの年月が経ちましたが、私ひろはまだビル・エヴァンスをこよなく愛し、デジタル化されたCDをBOSEシステムで聴き続けております。今もまだ切ない思いを消せないまま。

月刊PLAYBOY日本版の2005年6月号ではビル・エヴァンスの特集記事を掲載していますが、それによれば彼の周りの愛する人たちが次々とこの世を去っていく事に失意し、深刻な肝臓病を放置した事による「歴史上いちばん時間をかけた自殺」と括られています。

bakery

昔からパン好きであるけれど、夜寝る前 無性に美味しいパンが食べたくなるという変な癖がある。 パンが好きになったのは多分大学時代に神戸フロインドリーブのパンを初めて食べた時からだと思うが、あれからあちこちの有名なパン屋さんには結構買いに行ってると思う。でも、夜の夜中にパンが食べたいとは変だよな。
評判になる美味しいパン屋さんって芸大出身の美術や芸術家が、パンに凝って自分でお店を始めてしまうケースがとても多いらしい、パンは芸術?なのかなぁ この辺りのお気に入りのパン屋さんを幾つかご紹介します。 奈良、京都、大阪、神戸、東京などのすぐ買いに行けない遠方のお店は掲載しませんので、気になる方はmailを入れて下さい。

Nagi

名古屋八事の住宅街にとても美味しいドイツパンのお店があってよく買いに行ってたが、ある日いきなりお店が無くなってしまった。店をたたんだのか移転なのかも判らなかったが、移転して今も営業してる事を知り、その住所を頼りに探して行ってみた事がある。店主の渡辺さんに移転の経緯を訊くと、口コミで結構な評判になり毎週末にはパンを買いに来るお客さんの違法駐車で狭い道路が渋滞し、近隣の住民からかなりの苦情が出たらしい。で、厭になってもう何の案内も出さずに突然田舎に引越ししてしまったとの事。 東郷町白鳥の書店の一角にある ごく普通のパン屋さんにしか見えないが今も人気は高くHPなど無いのに全国から電話やmailで注文が入り、宅急便や航空便で発送しているらしい。

Pont l'Eveque

以前冨吉駅前の R1 角に在ったポンレヴィックが 今は蟹江に移転しお店も大きくなっていたが、移転前は普通に入れたポークシチューのランチに、今は時間前から順番待ちの沢山の行列が出来ていて驚いた。パンの種類が多くそのどれもがとても美味しい。この辺りでは一番ではないかな?

peu frequente

瑞穂運動公園近くのマンションの1階にある小さなパン屋さん。ここのクローネは注文してからクリームを入れてくれ パリパリでとても美味しい。デニッシュや食パンもかなりいける。

GURUMAN VITAL

本店は岐阜にあるが、名古屋の中区錦(長者町繊維問屋街)のビル1階にショップがある。フランス産小麦を発酵乳(ヨーグルト)で練り上げ石窯で焼いたパリスエッテというパンが 独特の風味と食感で特に好き。パンの種類が多く、サンドイッチやアレンジパンの類も美味しいと思う。

boulangerie SEKO

四日市市川北町のパン屋さん、2023年12月に現在地に移転。パン好きなので元店舗があった下さざらい町のお店が創業当初からよく買いに行く。今はお店が広くなって種類も増えた ハード系もスイーツパンやアレンジパンも またサンドイッチも美味しい、クロワッサンとバケットは必ず買ってくる。

pea green

数年前 患者さんから「桜に美味しい食パンのお店が出来た」と教えて貰ってたが、食パンはわざわざ買わないので行った事がなかった。湯の山にサイクリングに行った帰り雨が降り出し休憩と雨宿りで桜から移転した智積町のお店に初めて寄った、コーヒーを飲みフレンチトーストを食べたが 美味しかったのでその時オレンジと胡桃の食パンを買って帰った、それ以後時々食パンや塩パンを買いに行く。

italian

この近辺にはイタリアンはピッツエリアからトラットリア、リストランテまで数多く存在します。タウン雑誌や口コミなどで知ったお店にあちこち行ってみたけどなかなかお薦めできるようなお店に巡り合えない というのが本当のところです。そんな中で気に入った また行ってみたいお店として何軒かをご紹介します。あくまで個人的な判断ですから ハズレるかも知れませんよ~ その点ご了承下さいね。

CESARI

ナポリピッツァ職人世界選手権 ピッツァナポレターナS.T.G.部門 優勝 世界最優秀ピッツァ職人 パシュクアーレ牧島氏のお店で 最初はいわゆる「ピッツェリアスタイル」でお店を始めた。創業当初マルゲリータを¥350-で提供してたので有名になったが徐々に拡大し 現在は大須の他 名駅の大名古屋ビルヂング 1Fにもお店がある。今はナポリピザ認定のVERA PIZZAは全国に沢山あるし 世界最優秀というのも実は1分間に焼き上げたピザの枚数を競うものらしいが、ナポリピッツァを名古屋に広めた草分け的なお店 普通に美味しい。

VICINO

お店は吹上から春岡通りに曲がり、少し入った住宅街の細い路地にあり、ナビがないと中々辿り着けない様な判り難い場所ですが 小じんまりしたお洒落な建物で、シェフもホールスタッフも気取りがなく実に感じが良い。前菜、自家製パン、パスタ、メイン全てにおいてすごく繊細な仕事がしてあり 絶妙な塩加減 火の通し方など見事で、旬の食材が活きてて本当に美味しい。 ただひとつだけ残念なのは シェフが一人では厨房が回りきらないのか 始まってから終わるまでの時間がかかり過ぎる、ランチコースなのに2時間以上は少し長いと思う。

Ca’del Viale

以前のお店 Cucina Il Viale から移転し 2009年に一軒家の Ca’ del Viale になったが、1999年の創業当初から年に数回通ってるイタリアンリストランテ。きっかけは建築雑誌 Casa に日本のイタリアン特集が組まれてガンベロ・ロッソ(イタリア版ミシュランブック)編集長が来日した際に番外編として取り上げられた記事を見てバイクで行ったのが最初。以来、渡辺シェフとバイクや車の話をしながら食事するのが楽しくて、旬の食材が入荷すると訪れる。ホワイトアスパラやフレッシュポルチーニ茸など 全般に何を食べても とても美味しい。

akordu (スペイン料理)

奈良市富雄から東大寺近くの水門町に移転。素材の繊細さを活かした薄味なのに やや塩分は濃い目という、関西好みのと、イタリアやスペインの味付けが調和した感じで盛り付けや演出は日本料理にも通ずる、器の中にシーンや季節を表現する芸術のような・・・ミシュランブック2022で星を獲得、予約は中々取れない。

Motive

鈴鹿にあるピッツェリアで創業当初からピッツァを食べによく行ってたお店。元はチーズ職人だったらしいが 確かにピッツァに使われるチーズは素晴らしいし、またピッツァの生地や焼き方も群を抜いて美味しい。しかし2019年のミシュランブックでビブグルマンに選出された事から予約が中々予約が取れないので残念ながらご無沙汰です。

SEMPRE

長島町にあるイタリアン 店名が da sempre からお店の新築に際し SEMPREに変わった。以前はご主人がシェフ、奥様がホールのお二人でやってるお店なので予約も1日に1組だけだったが、今は変わったかも知れない。地の素材を使い美しく見事な盛り付けや、使う食器も実にセンスが良く イタリアンなのに素材を活かした繊細で上品な味付けは 絶対にここでしか味わえないほど。2019年のミシュランブックで星を獲得しているが、それを納得出来る素晴らしいお店 今は中々予約が取れないのが残念。

Contact

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患者さんに「受けて良かった」と思って頂けるような診療を目指しています。

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